はちみつ漬けショートケーキ

りちゃです ドクペ飲みたい

運動能力向上機の系譜とその四半世紀の夢

Introduction

パイロットの物理的入力を機械的に操舵面に伝達する場合、航空機の性能は人間の認知機能・身体機能や機械の精度・応答性などに起因する限界から逃れることができない。このため、航空機の制御を機械的リンクからコンピュータと電気信号によるものに切り替えようとする試みは電子式計算機の黎明期から存在していた。やがて電子系統の性能向上と制御理論の発展が進むと、1970年頃にこの "Fly-by-Wire (FBW)" という概念はついに実用的な価値を見つけるに至る。戦闘機への応用である。

戦闘機にとって、その機動性の高さは常に存在意義の中核をなしてきたと言っていい。従ってコンピュータ以前の戦闘機開発の歴史とは推力と空力の絶え間ない改善の歴史であった。複葉機、金属製機体、引込脚、ジェットエンジンエリアルール、これらはいずれも推力ないしは空力に関する静的な技術である。

そのような中で出現した、コンピュータの計算能力を借りて機体を制御するという「アクティブ制御」のアイデアは、動的な側面での初めてのパラダイムシフトと言ってよく、全く新しい時代の到来を意味していた。そうして1970年代初頭に始まった開発計画の中で、米空軍はそのような次世代機を "Control Configured Vehicle" (CCV, 運動能力向上機) と呼称した。これは文字通り解釈すれば「制御によって設計された機体」の意である。制御と暗に対比されているのは空力性能だろう。

運動能力向上機から始まった機動性追求の系譜は静安定緩和や推力偏向などの技術を受け入れて発展していき、1990年代には曲芸という他にない形態の機動を可能にした。 "Supermaneuverability"(超機動性)の時代が来ているのであり、ドッグファイトの常識が完全に書き換えられる時ももはや遠くない―― しかし、湾岸戦争でステルス機 F-117 が輝かしいデビューを遂げると最新鋭機のアイコンは一夜のうちにステルスに取って代わられ、高すぎる機動性はあっという間に不要なものとみなされていった。今では、かつて曲芸を披露し未来を見せてくれた実験機たちのほとんどが博物館入りしている。

運動能力向上機の系譜は、アクティブ制御によって高い機動性を引き出すという思想から、他の時代には見られないパンク的ともいうべき外観をしばしば有していた。1970年代初頭の登場から1990年代中頃の突然の衰退まで、電子制御と機動性が機体設計を支配した四半世紀は戦闘機設計の歴史において実に特別な時代であった。

フライ・バイ・ワイヤ

米国における FBW 研究は NASA の宇宙開発から始まった。マーキュリーとジェミニがそれぞれアナログ FBW とデジタル FBW を採用したほか、アポロ計画の月面着陸はデジタル FBW 制御であった。米国外では、早いものだと1958年にアブロ・カナダ CF-105 の試作機が機械式バックアップなしの FBW で飛行した。ソ連初の FBW 機はスホーイ設計局の試作機 T-4 であり、これは1972年に初飛行した。

(左)Uploaded by Bzuk at Wikipedia., Avro Arrow replica, public domain
(右)Sergey Dukachev, Sukhoi T-4 (Monino museum), CC BY-SA 3.0
CF-105 と T-4 。前者は超音速迎撃機、後者は超音速爆撃機。いずれも試作機のみ作られた。

さて、米国内で FBW を先駆けて扱っていたのは NASA だったが、大気圏内での応用に興味があったのは当然ながら NASA よりも空軍だった。1969年、オハイオ州ライト・パターソン空軍基地内に所在する空軍飛行力学研究所 (AFFDL : Air Force Flight Dynamics Laboratory) [† 1] にて、"Survivable Flight Control System (SFCS)" と称する FBW 機の開発プログラムが開始された。SFCS の名称は FBW が機械・油圧系統よりも物理的な攻撃に対して強靭であることに由来する。このプログラムのために一機の YF-4E が改造を受け、4重の冗長性を有するアナログ FBW を搭載された YF-4E SFCS となって1972年に初飛行した。SFCS には当初機械式のバックアップも存在していたが、これは FBW 系統の信頼性が確認されるとすぐに取り外された。

軍用機の FBW 化にあたって最大の懸念はその信頼性であったが、YF-4E SFCS が行った100回以上の飛行試験において、その飛行制御システムは性能でも信頼性でも従来型の飛行制御システムを上回っていたことが示されたという。

運動能力向上機の登場

1971年、米空軍は YF-4E SFCS が初飛行もしていないうちに、新しくもうひとつの FBW 技術に関するプログラムを開始させた。"Control Configured Vehicle" と名付けられたこのプログラムは、早くも FBW を単なる機械式制御の代替から脱却させ、技術をその先に進めようとするものだった。

どういうことか。FBW ではすべてのパイロット入力とセンサーの情報が一度飛行制御コンピュータに集められ、そこから各動翼や動翼に限らない動作部分が一括して制御される。ということは、飛行制御コンピュータに適切な処理能力とアルゴリズムがあれば、人間の認知機能ならびに身体機能が及ばない領域での飛行制御が可能なのである。人間の脳には把握しきれない数の動作部分を、人間の手には実現不可能な精度で制御できる。CCV プログラムはこの可能性を探ろうとするものなのだ。

CCV プログラムの第一段階では B-52 爆撃機を改造した NB-52E CCV が製作され、その後、SFCS プログラムが終了すると、その YF-4E SFCS を譲り受けてこれにカナード翼などを追加した YF-4E PACT (Precision Aircraft Control Technology) が作られた。

(上)U.S. Air Force photo, Boeing NB-52E, public domain
(下)U.S. Air Force photo, McDonnell Douglas YF-4E, public domain
NB-52E CCV は機首に1組の水平カナードと1枚の垂直カナードを、YF-4E PACT は主翼前方に1組の水平カナードを有している。やたらカナードをつけるのは CCV 機の著しい特徴だ。(そしてそれはとても格好いい!)

大まかに言って、NB-52E CCV では効率に関する技術、YF-4E PACT では機動性に関する技術が実証された。いいタイミングなので、ここで少し未来に行き、 重要な CCV 技術をまとめて覗いておこう。もちろん、その一部は CCV 機がやたらカナードをつけたがる理由にも関わってくる。

効率を改善する

この項目はやや地味でカナードとも関係しないのだが、だからといって省略するのは NB-52E CCV に申し訳なくてできなかったので、少し付き合ってほしい。

 


機動荷重制御 (MLC : Maneuver Load Control) とは、主翼の特定の舵面を操作することで機動時に主翼面にかかる揚力の分布を変化させ、実用的には主翼付け根の負荷を低減して重量削減につなげようとするものである。航空機は機体左右に大きく突き出した主翼が提供する揚力で機体中央の胴体を支えているため、B-52 のような細長い主翼だと特に、揚力が増加するピッチアップ中は主翼付け根に強い曲げモーメントがかかる。そこで、MLC を用いて揚力分布を機体中央に近づけることでこのモーメントを小さくできれば、主翼構造の軽量化や寿命の延長が期待できる。


フラッターモード制御 (FMC : Flutter Mode Control) とは、主翼に加速度センサーを取り付けることでフラッター現象の兆候を検知し、アクティブにそれを打ち消すような操作を行う制御である。人間に振動の制御など到底できないことは容易に想像できるし、FML に関して言えば FBW システムにとってもそう簡単なことではなかったようである。NB-52E CCV に用いられた機体はその直前に LAMS (Load Alleviation and Mode Suppression) プログラムにも使用されており、その際に構築された主翼構造力学モデルが存在していたため、それが FMC の実装を大いに助けたと思われる。


 

どちらの技術も NB-52E CCV によってその可能性が実証された。また、それらの成果から最終的には B-52 の重量を 15% から 25% も削減できるとの結論が導かれた。

新次元の機動性

本記事の趣旨としてはこちらが本題である。Introduction で述べたように、コンピュータによる機体制御の可能性は戦闘機にとって極めて重い意味を持っていた。CCV 機に従来機と全く異なる形態の動きができてしまうなら、ドッグファイトの文法がまるごと書き換えられることになる。もちろんこの段階 ―1970年代― ではまだそんな芸当はできなかったのだが、すでにその兆候ははっきりと表れている。

 


直接力制御 (DFC : Direct Force Control) とは、複数の舵面を組み合わせて制御することで特定のベクトルの並進運動あるいは回転運動のみを抽出し、姿勢制御と飛行経路制御を切り離す技術である。

たとえば、従来型の航空機が上方に遷移したい時は、まず機首上げを行って迎え角を増大させる。迎え角が増大すると主翼の揚力が増加し、それによって機体の上方遷移が実現する。一方、直接力制御で上方遷移を行うなら、たとえばフラッペロンを動作させて主翼の揚力を直接増加させ、同時にカナード翼や水平尾翼を適切に制御して主翼の余剰揚力によるピッチモーメントを打ち消す、ということが可能である。結果として、機体姿勢を変えることなく上向きの速度ベクトルを得ることができる。これは特に「直接揚力制御」と呼ばれる。左右方向の動きに関しても同様で、ラダー、エルロン、カナードを組み合わせて姿勢を変えずに横にスライドするような動きが実現される。こちらは「直接横力制御」と呼ばれる。

並進3自由度と回転3自由度の合計6自由度をすべて独立に操作するには、典型的な翼面構成では翼面が足りないことがある。特に、典型的な翼面構成ではピッチ方向の舵面は主翼水平尾翼の2箇所に存在するのに対し、ヨー方向の舵面は機体後方の垂直尾翼にあるラダーだけであることが多いため、直接横力制御の実現のために機体前方に垂直カナードを装備する必要が生じることがある。


静安定緩和 (RSS : Relaxed Static Stability) とは、意図的に静安定性を持たないように機体を設計することで機動性を向上させる技術である。静安定性とは物理学でいう釣り合いの安定性と同様の概念であり、機体姿勢に微小な変動を与えたときの応答が変動を減少させる方向に働く時を正の静安定性として定義する。正の静安定性を持つ通常の機体は姿勢が安定しているため人間にとっては制御しやすいが、一方でその静安定性ゆえに、戦闘機がしばしば行う、高い旋回率を維持するなどの激しい機動にはむしろ抵抗してしまう。そこで、静安定性を捨て去って(あるいは負の静安定性を与えて)、操縦の安定性をコンピュータによるアクティブ制御によって補う、ということが考えられる。

戦闘機がもっとも必要としているのはピッチ方向の機動性であるため、静安定緩和は基本的にピッチ方向に施される。ピッチ方向の静安定性を定量的に表すときには、揚力中心と重心との前後方向の距離をとり、それを平均空力翼弦長(揚力分布を加味して平均した主翼の前縁後縁間距離)を 100% とした符号付き百分率にして表すことが多い。符号は揚力中心が重心よりも後方にあるときが正である。この値を静安定マージンと呼ぶ。

静安定マージンの符号は当然静安定の正負に対応して定義されている。ではなぜ揚力中心と重心の前後関係が静安定の正負に対応するのか、という至極自然な疑問があるわけだが、私はおそらくこれを説明する資格を持たないので、ここではスキップさせてほしい。ともかく揚力中心が重心よりも前に出てくると静安定性が負の領域に入るのだ、ということを受け入れてくれればあとの話は簡単だ。静安定緩和が施されていない機体を改造してその静安定をなくすには揚力中心を前進させればいいのだから、機体前方に揚力を生じる水平カナードを新設すればよい。


 

翼面構成を見れば、YF-4E PACT にピッチ方向の静安定緩和が施されていることは明らかだ。実際、YF-4E PACT の静安定マージンは最低で -7.5% になったとされている。これは水平カナードだけで達成されたわけではなく、燃料タンク内の燃料を後方に送ることで重心を後退させる機能も有していたという。

一方で、直接力制御は CCV プログラムでは採用されなかった。これが実機で実現された姿を見るためにはもう少し時間を進めなければならない。では歴史に戻ろう。

軽量戦闘機計画

1972年に始まった米空軍の軽量戦闘機 (LWF : Light Weight Fighter) 計画は、もともと F-15 の開発状況を好ましく思っていなかった空軍内の非主流派がこっそりと始めたものだった。制式採用の約束も何もなく21ページの簡素な仕様書のみで始まった LWF の開発発注だったが、政府内の政治的な紆余曲折を経て1974年に空戦戦闘機 (ACF : Air Combat Fighter) 計画に発展し、最終的に政府から空軍への圧力によって ACF コンペの勝者を実際に制式採用することが決まった。このコンペのジェネラル・ダイナミクス案として設計されたのが YF-16 で、1974年に初飛行した。

YF-16 は制式採用を見据えた機体としては意欲的な設計で、立派な CCV 機だった。ピッチ方向の静安定性は -2% としっかり緩和されており、飛行制御は機械式のバックアップを一切持たない3重のアナログ FBW 系統のみで行われた。静安定緩和の他には、危険な領域での機動を自動で防止するリミッターが飛行制御コンピュータにプログラムされているのも特徴だった。

YF-16 は初飛行の翌年に ACF コンペに勝利し、F-16 Fighting Falcon として制式採用された。CCV 機の初めての制式採用だった。時代を先取りした設計を軽量安価な機体にまとめた F-16 は米軍機の歴史に残るベストセラーとなっており、幾度となくマイナーチェンジを繰り返されながらなんと未だに輸出用の生産が続いている。

U.S. Air Force photo, YF-16 and YF-17 in flight, public domain
手前は YF-16、奥は YF-16 と ACF コンペで争った YF-17。
この画像を挙げながら YF-16 の鋭いシルエットを褒めると、そのあまりの曲線美ゆえに YF-17 への当てこすりみたいになりそうなのでやめておく。

YF-16 の初飛行を担当した最初のプロトタイプ機は1975年末に AFFDL に送られ、さらなる CCV 技術の試験を行うための機体に改造された。エアインテーク付近に下向きの垂直カナードが2枚設置され、また YF-4E PACT のように燃料を移動させることで重心位置を制御する機能も与えられた。YF-16 CCV と呼ばれたこの機体は1976年に初飛行した。

垂直カナード2枚と書いた時点で明らかだったと思うが、YF-16 CCV はついに完全な直接力制御、つまり姿勢制御と飛行経路制御の切り離しを実現した機体だ。空軍とジェネラル・ダイナミクスはこれを "the new way to fly" だとして宣伝したし、実際にそれはやがて1990年代の「曲芸飛行」につながる確かな萌芽だった。サンディエゴ航空宇宙博物館が YouTube に当時のPR映像をアップロードしているので、それを見ていただこう。派手さこそまだないが、不気味な動き方であるのには間違いない。

YF-16 CCV の主な目的は、直接力制御によって可能になった様々な機動を試してみて、それが戦闘機にとってどのように役立ちうるかを探ることであった。YF-16 CCV は1976年から1977年までの間に87フライトをこなし、実戦機の開発を見据えた次の実験機へとバトンを繋いだ。と、そちらの話の前に......

デジタル化の波

航空機に先立ちアポロ計画ではデジタル FBW がすでに全面的に投入されていた、という話を覚えているだろうか。航空機のデジタル FBW 制御を先駆けて実現したのも NASA であった。ここで少し時代を戻って、デジタル FBW の系譜の話をしなくてはならない。というのも、アナログ FBW 機とデジタル FBW 機が交互に出現するような記事構成では分かりづらいと思ったため、前節までに紹介してきた機体はすべてアナログ FBW 機となり、かつこの節以降はすべてデジタル FBW 機となるよう、記事を二分したような格好になっているからだ。

カリフォルニア州モハーヴェ砂漠、米空軍のエドワーズ空軍基地の一角に NASA の飛行研究センターはある。1976年までは単に飛行研究センターという名称だったが、同年以後はドライデン飛行研究センターの名で親しまれた[† 2]。世界初のデジタル FBW 機、F-8C DFBW (Digital FBW) はここで生まれた。1972年のことである。飛行制御コンピュータには予備のアポロ誘導コンピュータがそのまま用いられていた。

NASA Photo, F-8 Digital Fly-By-Wire, public domain
左上、コックピットのすぐ後ろにアポロ誘導コンピュータ本体が、中央付近に DSKY (display and keyboard) ユーザーインターフェースが見て取れる。

デジタルコンピュータの登場は FBW 以前に制御理論全般にとっても大きな変革であった、ということはわざわざここで説明するまでもないだろう。ソフトウェアという概念は複雑な計算の実行を容易にしたのみならず、計算式が入出力と同じ物理的形態で記録されるという特徴によって「自らの計算式を計算対象にする」ことさえ可能にした。これによって飛行中に自らの飛行制御プログラムを自己修正するなどといったことが後に可能になったのだが、例によってこの時点ではまだそこまでは至っていない。

 YF-16 CCV からのバトンを受け継ぎ、空軍飛行力学研究所とドライデン飛行研究センターとの共同開発で1982年に初飛行したのが F-16 AFTI (Advanced Fighter Technology Integration) だ。外見は YF-16 CCV とよく似ているが、飛行制御はアナログではなくデジタルの FBW に変わっている。F-16 AFTI には、YF-16 CCV のような6自由度の機動を可能にする飛行モードの他、音声認識を用いたアビオニクス操作、レーダーや FLIR(赤外線カメラの一種)のヘルメット照準器に連動した指向、などといった様々な分野の野心的な新機能が搭載され、次世代技術の一大実験プラットフォームの様相を呈していた。それは Advanced Fighter Technology Integration という名前にもよく表れている。

NASA Photo, AFTI/F-16 Advanced Fighter Technology Integration, public domain
垂直尾翼の付け根から前へ伸びている背骨のような構造(ドーサルスパイン)は YF-16 CCV には見られない。これは増えたアビオニクスを格納するために増設された部分である。

ドッグファイトに革命を

第一次世界大戦における登場以来のほとんどの時期にわたって、戦闘機の兵装は機首前方のせまい範囲にしか指向できなかった。これはミサイルの登場以降も大きく変わることはなく、少なくとも20世紀中に限って言えば、ミサイルの誘導範囲は機首前方十数度の範囲にとどまっていた。このため、ドッグファイトの機動法は原則として敵機を正面に長い時間捉え続けるためのものであり、具体的には自機正面と敵機の位置する方向との差(方位角)および自機と敵機の経路方向の差(交差角)を同時にゼロに近づけようとするものだった。

お気づきかもしれないが、直接力制御の登場は俄にこの原則を脅かしつつあった。経路方向を変えずに機首方向を自在に変えられたならば、丁寧に敵機の真後ろに入ろうとしなくても容易に攻撃機会を得ることができるようになるだろう。さて、こう大袈裟に言われると YF-16 CCV の動きはまだ全然「自在」という風ではなかったじゃないか、と思われるかもしれない。それは全く正しいのだが、FBW を用いた制御の範囲はだんだん動翼以外のパーツにも拡大しており、直接力制御の概念を大幅に強化できる有力候補が浮上していたのだ。その候補とは推力偏向制御 (TVC : Thrust Vectoring Control) である。

推力偏向制御は読んで字の如く、エンジンの排気方向に自由度を持たせることで機体姿勢を変えずに推力の方向を変える飛行制御方法である。推力偏向を空戦に応用するという発想の現代的ルーツはハリアー戦闘機の "VIFF" に見出される。イギリス軍向けに開発され1960年に初飛行していたホーカー・シドレー ハリアー戦闘機は、単発エンジンの排気を4箇所に分かれた小さなノズルから出し、そのノズルをそれぞれ真下から真後ろまでの範囲で偏向させることで世界で初めて垂直離着陸を実用化した機体だ。この機体がアメリ海兵隊に採用されたとき、とあるアメリ海兵隊パイロットが水平飛行中に垂直離着陸モードを発動することで急速に経路方向を変える "VIFF (Vector In Forward Flight)" を発見したと言われている。空戦中に VIFF で急激に経路方向を変えて敵をオーバーシュートさせるといった戦術が真剣に議論され、特にそのユニークさ、派手さから戦闘機マニアたちの間では過大評価されがちだったようである。いくつかのハリアー部隊の模擬戦における優秀な戦績を VIFF 能力で説明しようとする文献が出現し、あるいはフォークランド紛争で英海軍のシーハリアーが VIFF を使ってアルゼンチン軍機を翻弄したなどという逸話も広く信じられた。

さて、F-15F-16 といった世代の戦闘機設計に大きく影響した理論に「エネルギー機動理論」がある。エネルギー機動理論は1962年に発表され、大雑把に言えば速度と高度をなるべく失わずに小さな旋回を続けられる機体が空戦に勝利すると主張した。VIFF のような機動は意図して自らのエネルギーをどばどばと捨てているようなものであり、その空戦中の使用に関する議論はエネルギー機動理論による真っ向からの批判を受けたのだ。そしてハリアーに関しては、そもそも垂直離着陸のために空戦性能を大きく犠牲にしていた事実もあって、その批判はほとんど当たっていたと言える。著名な模擬戦を戦った一握りのエリート部隊はともかく、一般には使える局面が限られすぎ、リスクが高すぎて、VIFF が実用されることはほとんどなかったのだ。フォークランド紛争での逸話などはもう全くの嘘であった。

しかし、発表から20年近くも経てば、研究者の中にもエネルギー機動理論に限界を感じる人が現れてきた。西ドイツのメッサーシュミット・ベルコウ・ブローム (MBB) で空戦理論の研究を行っていた Wolfgang Herbst はその一人であり、きわめて強く推力偏向制御の研究を推進した人物である。

Herbst は1980年に発表した論文の中で、エネルギー性能すなわち推力抗力比の改善を求め続ける戦闘機開発はコストの増大に伴って限界を迎えているとした上で、中央ヨーロッパには新しい形態の戦闘機が必要だと指摘した。彼によれば、当時の中欧の戦闘機には3つの一見矛盾した性能:空対空ミサイルの長射程化に伴い重要性を増す高速性能、限界を迎えるエネルギー機動理論に代替しうる新たなレベルの低速域機動性、対ソ戦の前線において運用の柔軟性を確保するための短距離離着陸性能、が同時に要求されていた。そして Herbst は、カナードデルタ翼からなる翼面構成、CCV 技術、および推力偏向制御の3つの技術を組み合わせることで、上述した3条件の矛盾を解消できるのだと主張した。

Herbst はとりわけ推力偏向制御と直接力制御の組み合わせを重要視した。従来の機体は空力的な制御方法に依存しているため、あまりに急激な旋回をすると気流と翼のなす角度(迎え角)が過大になることで揚力と制御パワーの喪失、すなわち失速を起こしてしまう。しかし推力偏向制御を用いれば、この失速が起きるような高迎え角領域でも制御パワーを維持でき、従来機よりもずっと機敏な方向転換が可能である。これを失速後 (PST : Post Stall) 機動という。Herbst は推力偏向制御を適切に使用すれば失速後機動によって空戦中に敵機よりも先に有利な位置取りを行うことができると主張する。そしてそこから火器管制と連動した直接力制御によって機首方向を敵機に張り付かせることができれば、機関砲で素早い勝利を得ることができるであろう。彼は論文中でこの2つの技術をまとめて "Supermaneuverability" (超機動性)命名し、文面の実に半分近くをその説明に割いたのだった。

モハーヴェ砂漠上空、超機動性を求めて

かくして1980年代以降、各国で本格的に FBW 機の実戦配備が進む一方で、ドライデン飛行研究センターとエドワーズ空軍基地には超機動性を追い求める大胆な実験機が次から次へと持ち込まれていった。実験機たちは華々しい曲芸飛行でモハーヴェ砂漠上空を飛び回り、ここに CCV 系譜機の全盛期を現出した。

高迎え角飛行への挑戦

高迎え角で十分な制御パワーを保つ一般的な方法は失速を受け入れた上で推力偏向によって強引に機体を制御することだが、珍しい主翼形状を採用することでそもそも失速しづらい機体を作ることもできる。異端的と言っていい発想だが、推力偏向機よりも時系列的に早い計画なのでこちらを先に紹介しよう。

CCV 系譜機最大の異端児 X-29 は、国防高等研究計画局 (DARPA : Defense Advanced Research Project Agency) と空軍飛行力学研究所の指導のもとに計画され、1984年に初飛行した。ジェット戦闘機としてはかなり小柄な部類にあたる F-5E を改造した機体で、水平カナード無尾翼前進翼という目を疑うようなシルエットを持つ。

NASA Photo, X-29 over California's Mojave Desert, public domain
主翼後縁から後方に伸びているストレーキの先には(やや分かりづらいが)可動面がついている。この舵面はストレーキ・フラップと呼ばれた。

無尾翼と水平カナードの組み合わせがピッチ方向の静安定性を大きく低下させている[† 3] のはもちろんのこと、前進翼自体も失速限界が高くなる代償としてロール方向とヨー方向の安定性を大きく犠牲にする翼型であるため、どの方向にもまるでまともな安定性を持っていない。まさに高度なデジタル FBW がなければ飛ばせるはずのない機体だったと言っていい。飛行制御は3重のデジタル FBW によって 40Hz の動作周波数で行われ、それに加えて3重のアナログ FBW をバックアップに有していた。

プログラムの運営はライト・パターソンに所在していたが、X-29 の実機はドライデンに持ち込まれ、NASA によって飛行試験が行われた。極めて不安定な設計にも関わらず X-29 の操縦レスポンスは非常によく、ねらいの高迎え角機動においても、迎え角 45° まで優秀なレスポンスを維持し、67° でも一定程度の制御パワーを持っていたという。また、1985年12月の飛行中にマッハ1.03を記録し、史上初めて音速を突破した前進翼機になった。

 

1985年、NASA 内部の複数の研究センターを巻き込んで高迎え角飛行を研究する HATP (High Angle-of-Attack Technology Program) が開始された。プログラムは初め風洞実験やコンピュータシミュレーションを使用していたが、やがてフルスケールの実機を用いた実験が必要と判断された。無改造で高い高迎え角飛行性能を持っていることなどから、当時海軍が運用していた F/A-18 が採用されることとなった。提供された機体は海軍の部品取りにされてひどい状態にあり、飛行能力を取り戻すのは大変だったようである。なにはともあれここに F/A-18 にデータ収集のための多数のセンサー類を搭載した F-18A HARV (High Alpha[† 4] Research Vehicle)[† 5] が作成され、ドライデンにて1987年に初飛行した。

プログラムの第一段階では F-18A HARV の機体性能は F/A-18 原型機そのままであったが、1991年からの第二段階では2つのノズルに3枚ずつ推力偏向パドルを取り付けることで多軸推力偏向能力を付与された。翌年、F-18A HARV はフライトエンベロープ拡張試験にて、迎え角 70° での安定飛行および迎え角 65° でのロール機動に成功した。

NASA Photo, F/A-18 Performs Thrust Vectoring Test, public domain
1991年、F-18A HARV の推力偏向パドルの地上試験の様子。

失速後機動の本質的困難は、当たり前だが、失速状態では舵面が制御パワーを失うことにある。だからこそ推力偏向制御が重要であるわけだが、翼面やエンジンノズルといった既存の装備には頼らない、失速後機動のための新装備も研究された。X-29 後期の渦流制御 (VFC : Vortex Flow Control) と F-18A HARV 第三段階の機首ストレーキがそれである。高仰え角飛行時には機首に下から気流が吹き付ける形となり、その気流は機首の左右から上方に出てくる際に渦流を作る。この左右の渦流を X-29 は窒素ガスを噴射することで、HARV はストレーキを展開することでそれぞれ制御し、高迎え角でのラダーのかわりにしようとしたのだ。

(上)NASA Photo, X-29 Undergoing Forebody Vortex Flow Tests, public domain
(下)NASA Photo, EC96-43479-5, public domain
高迎え角飛行を行う X-29 と F-18A HARV。スモーク発生器によって機首の気流が可視化されている。

NASA Armstrong Flight Research Center, F-18A HARV Phase III Strake Experiment, public domain
F-18A HARV が機首ストレーキを開閉させる様子。

X-29 の前進翼が持つ横方向の負の静安定性は制御パワーが低下する高迎え角で技術者らを悩ませていたらしく、VFC はそれを解決することを期待されていたのだが、ラダーのかわりにはなっても静安定性のかわりにはならなかったようである。一方 F-18A HARV の機首ストレーキは期待された役割を果たしたが、登場が遅すぎたといえる。HARV の第三段階の飛行試験が終わったときにはもう1996年だったため、これが後の機体に続くことはなかった。

推力偏向制御の成熟

90年代に入ると実戦的状況を想定した推力偏向技術の活用が試されるようになった。前項の内容に続く高迎え角飛行の活用にフォーカスした機体だけではなく、すでに紹介した F-16 AFTI のような、様々な技術を搭載した機体がその一環として機体設計に推力偏向を取り入れるケースもあった。

 

空軍飛行力学研究所との契約のもとでマクドネル・ダグラスが F-15B を改造して1988年に初飛行させた NF-15B STOL/MTD (Short Take-Off and Landing/Maneuvering Technology Demonstrator) は、名前の通り短距離離着陸技術に主眼を置いた機体だ。外見上では、F/A-18水平尾翼を流用した上反角つきの水平カナードと、長方形の断面をした独特の二次元推力偏向ノズルが目立つ。外見に表れない点でもパイロットのインターフェースなどでいくつか興味深い機能を有している。

from: Joseph R. Chambers, Partners in Freedom
NF-15B STOL/MTD。カナードやノズルだけでなく、派手な塗装パターンも印象的だ。

NF-15B STOL/MTD のノズルは上下のパドルがピッチ方向に ±20° まで動くだけでなく、逆噴射を行うことも可能であった。逆噴射と、カナードを立ててエアブレーキとする運用とを組み合わせて急激な減速を行うことで、NF-15B は原型機の実に5分の1の滑走距離での着陸を実現した。この逆噴射は空中でも使用できたため、空中戦における急減速の有用性についての議論もされたようである。

 

NF-15B STOL/MTD が初飛行したのと同じ1988年、ライト・パターソンは今度はジェネラル・ダイナミクスに "Variable stability In-flight Simulator Test Aircraft (VISTA)" を発注した。variable stability in-flight simulator とは、他の(しばしば実機が存在しない)機体の飛行特性を空中で再現できる機体のことである。飛行制御システムがパイロットと機体をつなぐものである以上、その研究においてパイロットの振る舞いを考慮することは大変重要なのだが、パイロットの置かれる物理的環境は地上では再現できない。一方で、パイロットなしに作られた飛行制御システムのままで新設計の機体を空中に上げるのは危険だ。そこで、架空の飛行特性を FBW 制御コンピュータにシミュレーションさせ、安全な機体に別の機体のフリをさせようということである[† 6]VISTA プログラムでは F-16D を原型機とした NF-16D VISTA が用意され、1988年から1992年までこの機がプログラムを遂行した。

ちょっと高級なシミュレーターといった風情の機体が超機動性とどう関係してくるのか、疑問に思っているかもしれない。実際、VISTA プログラムは当初、超機動性とも推力偏向ともさっぱり関係がなかった。話が変わったのは1992年。VISTA プログラムの予算が止められてしまい、不要になった NF-16D はエドワーズ空軍基地に送られて全く無関係なプログラムに利用されることになる。それが奇しくも MATV (Multi Axis Thrust Vectoring, 多軸推力偏向) プログラムだったのだ。

MATV は MATV で紆余曲折を経ており、米空軍が協力を拒否したのでイスラエル空軍に協力してもらうことにしていたら途中で米空軍がやっぱり協力することにしてイスラエル空軍を追い出したとか、そういった話があったようである。NF-16D を受領した MATV プログラムはそのノズルを多軸推力偏向ノズルに換装し、1993年から高迎え角飛行の試験を始めた。この多軸推力偏向ノズルは、これまでに登場したパドル式と違って円筒形のノズルの全体が歪むように向きを変える軸対称方式で、任意の方向に 17° まで偏向可能だった。

NASA Photo, Dryden/Edwards 1994 Thrust-Vectoring Aircraft Fleet, public domain
MATV プログラム中の NF-16D。AFTI と同様のドーサルスパインは VISTA プログラムからのもの。一方、ノズル直上に掲げられたカプセルは MATV プログラムのもので、非常用のスピンシュート[† 7] が格納されている。

フライトエンベロープ拡張試験の結果は決定的だった。NF-16D は 86° までの迎え角で安定した飛行を行い、一時的には迎え角 180° に達する飛行 ―つまり宙返りのことなのだが― が可能であることを示した。要するに、この機体には迎え角限界などというものはもはや存在しなかったのだ。F-16 の採用時には FBW コンピュータにプログラムされた自動迎え角制限 (AOA limiter) がいかにハイテクであるか盛んに宣伝されていたことを思えば、実に遠くまで来たものではないか。

この機体の登場によって、1980年頃よりもっぱらコンピュータシミュレーション上で行われてきた超機動性に関する議論を実機を用いて確かめることが可能になった。都合いいことに MATV は米空軍主導のプログラムである。1993年の冬、空軍は早速ネヴァダ州の第422試験評価飛行隊から経験のある F-16 パイロットを2人エドワーズに呼びつけ、NF-16D MATV と通常の F-16C とで模擬戦を戦わせた。ドッグファイト中に失速後機動を行えばエネルギーを急速に使い果たして危険な状態になるという懐疑派の懸念は確かに正しく、防御位置にある NF-16D が早いタイミングで失速後機動を使用したために劣勢になった事例はあった。しかしそんなことよりも、攻撃可能方向にほぼ死角を持たない機体を相手にすることが多大なプレッシャーを生むのは明らかだった。攻撃側の F-16C のパイロットにしてみれば NF-16D がいつ突然こちらへ機首をくるりと向けてくるかがわからず、その恐怖のために追撃は自然と慎重にならざるを得なかった。

空軍は続けて同じ422飛行隊からもう一人を呼び、2機の F-16C で NF-16D 1機を攻撃させた。1対1の戦闘なら失速後機動で相手をキルできればそれで決着がつくが、2対1ならば片方を失速後機動でキルしてももう片方に低エネルギー状態を晒すことになる、というのが常識的な考え方だ。F-16C 側は教科書通りの戦略を取った。つまり、リーダー機が積極的に格闘戦を行って敵のエネルギーを奪い、その間に上昇してエネルギーを獲得した僚機が上空から降下して敵を仕留めるのだ。しかし、彼らは超機動性を有する機体の前では古典的な戦術が通用しないことをすぐに思い知らされた。戦闘中に片方の F-16C は機会を見て上昇を開始するが、NF-16D はそれを見ると失速後機動を使用して強引に機首を上げ、上昇する僚機を攻撃してその上昇を妨害したのだ。普通の機体ならば1機の敵を相手にしているときにときどきもう1機の方にも攻撃を仕掛けるといったようなことはできない。だが、多軸推力偏向ノズルによって迎え角制限から解放された NF-16D は、2機の F-16C の位置関係にかかわらず両方を交互に脅かし続けることができ、しばしば数的劣勢にありながらも攻撃的な動きを見せた。

NF-16D MATV の高迎え角飛行や制御フラットスピンの映像。

VISTA プログラムの予算は1994年に復活し、NF-16D VISTA に戻っての飛行試験が半年ほどそのままエドワーズ空軍基地にて続けられた。翌年の1月、NF-16D は本来の in-flight simulator としての使命を果たすため、エドワーズ空軍基地を去っていった。

 

電撃のように現れて去っていった NF-16D MATV だったが、それと入れ替わるように1994年、NF-15B がドライデンに送られてきた。1993年に STOL/MTD のプログラムが終了したため、機体は1994年からの NASA の "Advanced Control Technology for Integrated Vehicles (ACTIVE)" プログラムに参加しに来たのだった。NASA は NF-15B の飛行制御システムを近代化し、さらに二次元推力偏向ノズルを MATV プログラムと同様の多軸推力偏向ノズルへ換装した。こちらのノズルはどの方向にも最大 20° まで偏向可能であり、また双発機であるため、左右のノズルを反対方向に偏向させてロール機動を行うこともできた。ACTIVE プログラムは主に超音速域での推力偏向制御を扱い、1996年に世界で初めて超音速飛行中に推力偏向を使用した。また、同年終わりにはマッハ2までの速度域において推力偏向の有効性を試験した。

NASA Photo, F-15 ACTIVE takes off, public domain
離陸する NF-15B ACTIVE。

超音速域での推力偏向制御に続けて、ACTIVE プログラムでは適応制御の航空機への応用が試験された。適応制御は制御理論における制御手法のひとつで、制御システムが自身の制御パラメータをリアルタイムに修正しながら制御を行うことで高い柔軟性が実現される。1996年の最後の試験飛行において、F-15 ACTIVE は高高度を超音速飛行中に適応制御のみで速度をマッハ0.1増加させた。

次世代戦闘機の姿

Herbst の論文が出た頃、ヨーロッパでは英独仏の三国が集まって次世代戦闘機を作るユーロファイター構想が始まっていた。MBB は Herbst の論文をそのまま具現化したようなカナードデルタ推力偏向機を引っ提げてこれに参加し、途中でフランスが抜けてイタリアが参加するなどあったが、ユーロファイターは概ね MBB のデザインで進むことになっていった。もちろん、イギリスの反対で推力偏向が下ろされた点を除けば。

推力偏向が却下されたことが実際に妥当であったかどうかは別にして、Herbst にとってはやはり悔しかったのではないかと思う。そして行き場をなくした MBB の推力偏向技術は、彼とロックウェル社の Mike Robinson との縁などによって、大西洋を渡ってモハーヴェ砂漠にやってくることになったのだ。

X-31 は "Enhanced Fighter Maneuver (EFM)" プログラムに基づく1990年代初頭の米独共同開発機であり、史上初の国際開発されたXプレーンだ。開発は米独両国の各政府機関の協力を受けて、ロックウェル社と MBB 社が共同で行った。設計は Herbst が書いた通りのカナードデルタ推力偏向機で、推力偏向は3枚のパドルによって提供されていた。X-31 はロックウェル社にて2機作成され、1機目が1990年、2機目が1991年に初飛行した。ロックウェル社の施設で基本的な試験を行った後、2機は1992年にドライデンに送られ、同年末に70度の高迎え角飛行をしながら最大速度のロールに成功。翌年春には高迎え角飛行と重力を利用して飛行方向を素早く反転させる機動を実演してみせたが、これは Herbst 機動と名付けられた。

NASA Photo, X-31 #1 in Flight over Edwards AFB, public domain

NASA Photo, X-31 Demonstrating High Angle of Attack - Herbst Maneuver, public domain
Herbst 機動に入る X-31。この高迎え角状態から行きたい方向へロールし、機首を下げつつ再加速することで機動は完了する。

新しい機動方法の探索が終わると、空戦への応用価値を評価するためにシミュレーション上でのドッグファイトと実際の模擬戦が続けて行われた。X-31 はシミュレーション上ですでにその優位性を示していたが、実機による模擬戦が始まると予想以上に圧倒的なキルレシオが出てきた。

まずは NASA で追跡機をやっていた F/A-18 を相手に1対1の模擬戦が行われた。中立位置から開始した場合、X-31 は F/A-18 相手に32:1ものキルレシオを叩き出し、防御位置から開始しても1:1であった。X-31 に 30° の迎え角制限を課すとバランスは逆転し、F/A-18 が X-31 の2倍以上の勝利を収めたため、高迎え角飛行能力が空戦性能を大きく向上させることは明らかだったと言える。

続けて、海空軍から実戦機を運用する部隊が呼び出されて同様の模擬戦に参加した。海軍からは第4試験評価飛行隊 (VX-4) が F-14D と F/A-18C を、空軍からは MATV プログラムのときと同じ第422試験評価飛行隊 (422 TES) が F-15C と F-16C を持ち込んだ。この段階の模擬戦で明らかになったのは、X-31 の推力偏向はその低い推力重量比を補うものではないということだった。VX-4 との戦闘では X-31 はそれまでと同様に相手を低空低速域に誘い込んで数倍のキルレシオを確保できたが、422 TES が使う陸上機は海軍機より一回り大きい推力重量比を有しており、X-31 の妨害を拒否して高空にとどまることができた。

全部で407回の模擬戦が戦われ、近接したドッグファイトにおいて推力偏向制御が大きなアドバンテージになることが確かめられた。また、事前に X-31 の飛行経験を持たないパイロットでも比較的容易にその推力偏向制御を活用できることも示され、これは推力偏向機の実戦投入に当たって重要な事実だと考えられた。推力偏向制御が推力重量比の不利を覆せないこともわかったが、両者は両立可能であるため実際に問題になることはないだろう。そのことはほぼ同時期に行われていた NF-16D MATV の模擬戦からもわかったはずだ。

湾岸戦争と夢の終わり

ところで、技術者たちがモハーヴェ砂漠で超機動性の夢を追いかけていた間、まさか世界も一緒に夢を見ていたわけではなかった。

Herbst が1980年に論文を書いてからものの10年で中央ヨーロッパの情勢は激変していた。1989年にポーランド民主化し、翌年10月には東西ドイツが統一された。東側陣営は急速に崩壊しており、それに付随して対ソ前線としての中央ヨーロッパという概念も時代遅れになっていった。

1990年8月にイラククウェートに侵攻すると、国連安保理では武力行使容認決議においてついに米ソの一致を見た。翌年1月、歴史的な決議による承認のもとに35ヵ国からなる巨大な多国籍軍が編成され、湾岸戦争が始まった。冷戦は終わった。同時に、戦闘機開発にとっても全く新しい時代が始まろうとしていた。

 

開戦第一撃が着弾した1月17日2時40分頃、夜闇に紛れて飛行していた10機の F-117 がちょうど国境を越えた。彼らに課された任務は護衛なしにまっすぐバグダッドに乗り込み、そこにあるイラク軍防空システムの中枢を攻撃することだ。

フセインバグダッドを中心に全国に構築した防空システムは世界で最も強固とも言われ、これの早期無力化なしに多国籍軍の侵攻は不可能だった。60個以上のソ連製長距離地対空ミサイルを始めとして1万発級の対空ミサイルと1万門級の対空砲が存在しており、その濃密さは冷戦期の代理戦争で米空軍が戦ってきたいずれの敵と比べても桁違いであった。しかし、事前情報によれば防空システムは非常に中央集権的であり、バグダッドにあるいくつかの施設さえ破壊できれば全国レベルでの防空能力の喪失を期待できるかもしれなかった。米空軍はこれに賭けることにした。

はじめは通常のストライクパッケージを組んでバグダッドに侵入させる計画もあったが、シミュレーションの結果、あまりにも危険であるとの結論が出された。このミッションを安全に飛べる部隊はただひとつをおいて世界のどこにもなかったと言っていい。その部隊とは、トノパー・テストレンジの第37戦術戦闘航空団だ。ほんの3年前に存在が公表されたばかりの、世界初にして当時世界唯一のステルス機 F-117 がそこにあった。

F-117 は攻撃機だ。万が一にもソ連製の最新防空アセットの前にステルスが機能しないとなったら、自分で自分の身を守ることはできない。それにもかかわらず、ステルス機に非ステルスの護衛戦闘機をつけては本末転倒であるから、護衛機は一切与えられなかった。無線封止を行ってイラク軍の対空レーダー網の中に飛び込んでいった10機の F-117 には、自身のステルス性能の他に頼れるものはなかった。

果たしてイラク軍の世界最高の防空網も彼らを探知できなかった。バグダッド上空には正体不明のジェット機の音が響き始め、それを CNN の記者が中継映像とともに報告していた。ところで、国外への中継放送はバグダッド市内の国際通信センター(International Communications Center)を経由しているはずであり、これは F-117 たちの攻撃目標のひとつだった。これに気づいた戦術航空統制センター(TACC)は CNN の中継を部屋のスクリーンに出し、そしてHアワー(航空作戦開始時刻)の0300時、予定通りに中継映像が途絶えると TACC 内に歓声が沸き起こったという。

最初のレーザー誘導爆弾が着弾すると、イラク軍の対空砲が上空の轟音めがけて弾幕を張りはじめた。しかし、敵が見えない中で闇雲に撃たれた対空砲火はすべて夜空の漆黒に吸い込まれていき、なんら成果を上げることはなかった。湾岸戦争終結までの42日間で F-117 は誘導爆弾を抱えて 1271 ソーティーをこなし、1機も撃墜はおろか被弾することさえなかったのだった。「不可視の戦闘機」F-117はたちまちに英雄の扱いとなり、次世代戦闘機のイメージをほしいままにするようになった。

 

1991年の10月、Wolfgang Herbst が亡くなった。大戦期のドイツ戦闘機 Fw 190 のレプリカを操縦中に不幸にも墜落したのだった。したがって、彼は結局 X-31 の高迎え角飛行をその目で見ることはなかった。

 

F-117 以降、次世代戦闘機にステルス性能を課すのは世界の常識となった。ステルス性能は戦略級のアドバンテージであり、ジェットエンジンの登場以来のパラダイムシフトだったと言っていい。そして、カナード翼も推力偏向ノズルも何もかも、ステルスの邪魔だった。ステルス設計とはその性質からしてほんの小さな妥協が全てを台無しにしうるものであり、たかだか戦術レベルでしかない超機動性ごときのためにできる妥協は極めて限られていた。

結局、西側で超機動性を獲得した実戦配備機は F-22 だけに終わった。F-22 のコンペ相手であった YF-23 はステルス性を徹底的に追求した結果、排気の赤外線シグネチャを地上から隠すために推力偏向を棄却し、上下非対称のノズル形状を採用した。F-22 のそれだってピッチ方向のみの推力偏向であり、ノズル形状はステルス性のためにかなり独特なものになっている。

一方で、FBW 技術がなければステルス機たちは空を飛ぶこともできない、という事実も忘れてはならない。ステルス設計はあらゆる場所で空力設計と衝突するため、ステルス機はしばしばあたかもこの世のものではないかのような形状になる。X-29 や NF-15B は確かにユニークだが、F-117 などはその比ではないだろう。

思えば、Control Configured Vehicle という概念がそもそも成立し得ないものだった。FBW 技術は機体設計の支配要因の玉座に座りうる技術ではなかった。むしろ、それは長く居座っていた空力を玉座から追放し、これから現れる他の技術にその座を開放したにすぎないのだ。これからステルス性能すら機体設計から追い出すような新技術も現れるだろう。もちろん、それが何になるのかはまだ誰にも分からない。しかし、これからどんな新技術がこの玉座に座ろうとも、それが CCV 系譜機たちが積み重ねた研究成果によって支えられていくことになるのは間違いないように思われる。

NASA Photo, Dryden/Edwards 1994 Thrust-Vectoring Aircraft Fleet, public domain
1994年、モハーヴェ砂漠上空にて。左から F-18A HARV、X-31、NF-16D MATV。

実験機たちの今

いつか巡ってみたいものです。本当に。

 

NB-52E CCV (USAF 56-6032)

 デイヴィス・モンソン空軍基地にてスクラップ化。

YF-4E SFCS, YF-4E PACT (USAF 62-12200)

 1979年より国立アメリカ空軍博物館にて保管されている。

U.S. Air Force photo, McDonnell Douglas YF-4E, public domain

F-8C DFBW (USN 145546)

 アームストロング飛行研究センターにて展示されている。

YF-16 CCV (USAF 72-1567)

 バージニア航空宇宙科学センター(NASA ラングレー研究センターのビジターセンター)にて、改造前の YF-16 の姿に復元されて展示されている。

Uploaded by Balon Greyjoy at Wikipedia., 20180320 YF-16 Virginia Air and Space Center-8, CC0 1.0

YF-16 AFTI (USAF 75-0750)

 数々のプログラムに続けて使用された後、2001年より国立アメリカ空軍博物館にて保管されている。特徴的なカナードはいろいろなプログラムに使用されるうちに取り外されてしまった。

U.S. Air Force photo, General Dynamics NF-16A AFTI, public domain

X-29

 1番機は国立アメリカ空軍博物館にて、2番機はアームストロング飛行研究センターにて、それぞれ展示されている。

U.S. Air Force photo, Grumman X-29A, public domain

F-18A HARV (USN 160780)

 バージニア航空宇宙科学センターにて展示されている。

Uploaded by Balon Greyjoy at Wikipedia., 20180320 FA-18 HARV Virginia Air and Space Center-6, CC0 1.0

NF-15B STOL/MTD, NF-15B ACTIVE (USAF 71-0290)

 アームストロング飛行研究センターにて展示されている。

NF-16D VISTA, NF-16D MATV (USAF 86-0048)

 Xプレーンとしての番号 X-62 を与えられ、エドワーズ空軍基地にて現役。in-flight simulator の機能を活かしてテストパイロット・スクールの練習機としても使用されている。

U.S. Air Force photo, VISTA gets a new look, public domain

X-31

 1番機は1995年1月に事故で失われた。凍結したピトー管が飛行制御コンピュータに誤った値を送り続けて制御不能になったことが原因。なおパイロットは無事脱出した。

 2番機はパリ航空ショーでの展示飛行や、海軍主導の推力偏向によって超短距離着陸を行う "VECTOR (Vectoring ESTOL Control Tailless Operation Research)" プログラムを経て、現在はドイツ博物館シュライスハイム航空館にて展示されている。

Uploaded by Valder137 at Wikipedia., Rockwell-Messerschmitt-Bölkow-Blohm X-31 Vector BuNo 164585 LSideRear DMFO 10June2013 (14563792696), CC BY 2.0

脚注

† 1: ^ 現:空軍研究所 (AFRL : Air Force Research Laboratory)

† 2: ^ 現:アームストロング飛行研究センター (2014~)

† 3: ^ 静安定マージンの値は驚異の -35% だった

† 4: ^ 迎え角はよく α で表される

† 5: ^ 原型の機体が生産されたときは F/A-18A ではなく F-18A と呼ばれていたため、これが尊重された命名になっている

† 6: ^ 実は variable stability aircraft 自体は FBW が登場するずっと前からあるのだが、ここでは詳細には踏み込まないでおく

† 7: ^ スピンを起こして制御不能になった場合に、制御を回復するために展開されるドラッグシュート。実は上の方に出てきた高迎え角飛行中の X-29 の画像にも同様のものが映っている

出典・参考文献

- 荻野 & 大嶋 (1987). CCV開発の世界的動向. 日本航空宇宙学会誌, 35(405), 460-467. https://doi.org/10.2322/jjsass1969.35.460

- 金井 (1982). 最近の飛行制御システム ―CCVの現状とその動向―. 日本航空宇宙学会誌, 30(340), 272-287. https://doi.org/10.2322/jjsass1969.30.272

- 越智 & 金井 (1996). アクティブ飛行制御技術とアドバンスト制御. 計測と制御, 35(6), 457-466. https://doi.org/10.11499/sicejl1962.35.6_457

- 上原 (1998). 小型高速機の追跡-回避問題の変遷と課題. 日本航空宇宙学会誌, 46(532), 261-270. https://doi.org/10.2322/jjsass1969.46.261

- 関 賢太郎 (2016). 戦闘機と空中戦(ドッグファイト)の100年史―WW1から近未来まで ファイター・クロニクル. 潮書房光人新社.

- 防衛研究所戦史研究センター (2021). 湾岸戦争. 防衛省防衛研究所. Retrieved September 10, 2022, from http://www.nids.mod.go.jp/publication/falkland/gulf_war.html.

- Hallion, R. P. (2010). NASA's Contributions to Aeronautics: Aerodynamics, structures, propulsion, controls.. National Aeronautics and Space Administration.

- Hamel, P. G., & Jategaonkar, R. V. (2017). In-flight simulators and fly-by-wire/light demonstrators: A historical account of international aeronautical research. Springer.

- Herbst, W. B. (1980). Future fighter technologies. Journal of Aircraft, 17(8), 561-566. https://doi.org/10.2514/3.44674

- Chambers, J. R. (2000). Partners in freedom: Contributions of the Langley Research Center to U.S. military aircraft of the 1990's. National Aeronautics and Space Administration, Office of Policy and Plans, NASA History Division. Retrieved September 10, 2022, from https://ntrs.nasa.gov/citations/20000115606.

- National Aeronautics and Space Administration. NASA Dryden Historical Research Aircraft Photo Collection. Retrieved September 10, 2022, from https://www.dfrc.nasa.gov/Gallery/Photo/index.html.

- National Aeronautics and Space Administration. Armstrong Fact Sheets. Retrieved September 10, 2022, from https://www.nasa.gov/centers/armstrong/news/FactSheets/index.html.

- National Aeronautics and Space Administration. Armstrong History: Where are they now? Retrieved September 10, 2022, from https://www.nasa.gov/centers/armstrong/history/where_are_they_now/index.html.

- United States, Congress, Senate, Committee on Appropriations. (1969). Department of Defense Appropriations for Fiscal Year 1970: Hearings before the subcommittee of the Committee on Appropriations. U.S. Government Printing Office.

- United States, Congress, Senate, Committee on Appropriations. (1970). Department of Defense Appropriations for Fiscal Year 1971: Hearings before the subcommittee of the Committee on Appropriations. U.S. Government Printing Office.

- United States, Congress, Senate, Committee on Appropriations. (1971). Department of Defense Appropriations for Fiscal Year 1972: Hearings before the subcommittee of the Committee on Appropriations. U.S. Government Printing Office.

- Sergeant, J. (1994). Thrust Vectoring In The Real World. Code One Magazine. Retrieved September 10, 2022, from https://www.codeonemagazine.com/f16_article.html?item_id=163.

- Joyce, D. A. (2014). Flying beyond the stall: The X-31 and the advent of supermaneuverability. National Aeronautics and Space Administration. Retrieved September 10, 2022, from https://www.nasa.gov/connect/ebooks/flying_beyond_the_stall_detail.html.

- Operations Room. (2020). Desert Storm - The Air War, Day 1 - Animated. YouTube. Retrieved September 10, 2022, from https://www.youtube.com/watch?v=zxRgfBXn6Mg.

- Jeremy.  Aircraft Serial Number Search. Retrieved September 10, 2022, from http://users.rcn.com/jeremy.k/serialSearch.html.

- Baugher, J. F.  Joe Baugher's Home Page. Retrieved September 10, 2022, from http://www.joebaugher.com/